2025年6月27日金曜日

お庭のこと(駒込)

 

息子の転勤のこともあり、今年のGWは東京で過ごしました。

家族での遠出でしたが、自由行動の日があり、

駒込の旧古河庭園と六義園の二つのお庭を見に行きました。



旧古河庭園は高低差を活かし、

高台にはジョサイア・コンドルの設計した旧古河邸が建ち、

その洋館の周りは、バラ園を含むイタリア式庭園、

低地には「植治」こと七代目小川治兵衛が作庭した

日本庭園が造られています。


コンドルは明治10年に24歳という若さで来日し、

工部大学校(現 東京大学工学部)の教授となり、

東京国立博物館や鹿鳴館などの建築物の設計を行い、

辰野金吾、片山東熊、渡辺譲などの建築家を指導しました。

一方、小川治兵衛、山県有朋の無鄰菴や京都御苑、円山公園の作庭のほか、

修学院離宮、桂離宮などでは、復元修景を行っています。


洋風庭園はコンドルの設計で、洋館と日本庭園をつなぐ位置に

バラ園が配されており、主役のバラの開花には少し早かったものの、

整形したツゲなどの生垣と、傾斜地のツツジ、咲き始めのツルバラが

明るいお庭を彩っていました。

旧古河庭園とバラ園

低地の日本庭園では、優美な心字池を中心に、茶室、豪壮な石組みによる

枯滝、巨大な雪見灯篭があり、石橋、崩れ石積、渓谷など、

「植治」の魅力が詰まった回遊式のお庭となっています。

枯滝

心字池と雪見灯篭


六義園は、五代将軍 徳川綱吉の側用人で権勢を誇った柳沢吉保が、

元禄15年(1702年)に築庭した古今集にある紀州 和歌の浦を中心とした

美しい風景をイメージした池泉回遊式の大名庭園です。

六義園の名は、中国の詩の分類法に倣った古今集の序にある和歌の分類

(そえ歌、かぞえ歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、いわい歌)

に由来したものだそうです。

柳沢吉保は、日本風に「むくさのその」と呼んでいましたが、

現代では「りくぎえん」と呼びます。


江戸時代の園芸の中心地であった染井(そめい)に隣接していたことから、

そのころのツツジブームにあやかり、六義園には数多くのツツジが植えられ、

GW中はツツジの開花に重なることから盛況となり、

正門のほか、染井門も開放されます。

藤代峠からのツツジを通しての和歌の浦(池)の景色や

対岸からの藤代峠のツツジは絶景です。

また、園内には滝見、吹上の両茶屋のほか、渡月橋、出汐湊など、

名勝になぞらえた八十八境が映し出され、回遊式の園路を歩くごとに

和歌に詠まれた古(いにしえ)の景色が移り変わります。

藤代峠(六義園八十八境 七十四)から田鶴橋を望む
「ふじしろのみかさをこえて見わたせば
かすみもやらぬ吹上の浜」

対岸からの藤代峠

滝見茶屋

渡月橋(六義園八十八境 三十七)
「わかのうら あし辺のたづ(田鶴)の鳴く声に
夜(よ)わたる月の影ぞさびしき」

帰りのJR駒込駅のホームから見えるツツジも

園芸の地「染井」の名残のようです。

JR駒込駅 山手線内回りホームからのツツジ

(技術1部 Y.小泉)

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