息子の転勤のこともあり、今年のGWは東京で過ごしました。
家族での遠出でしたが、自由行動の日があり、
駒込の旧古河庭園と六義園の二つのお庭を見に行きました。
旧古河庭園は高低差を活かし、
高台にはジョサイア・コンドルの設計した旧古河邸が建ち、
その洋館の周りは、バラ園を含むイタリア式庭園、
低地には「植治」こと七代目小川治兵衛が作庭した
日本庭園が造られています。
コンドルは明治10年に24歳という若さで来日し、
工部大学校(現 東京大学工学部)の教授となり、
東京国立博物館や鹿鳴館などの建築物の設計を行い、
辰野金吾、片山東熊、渡辺譲などの建築家を指導しました。
一方、小川治兵衛、山県有朋の無鄰菴や京都御苑、円山公園の作庭のほか、
修学院離宮、桂離宮などでは、復元修景を行っています。
洋風庭園はコンドルの設計で、洋館と日本庭園をつなぐ位置に
バラ園が配されており、主役のバラの開花には少し早かったものの、
整形したツゲなどの生垣と、傾斜地のツツジ、咲き始めのツルバラが
明るいお庭を彩っていました。
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旧古河庭園とバラ園 |
低地の日本庭園では、優美な心字池を中心に、茶室、豪壮な石組みによる
枯滝、巨大な雪見灯篭があり、石橋、崩れ石積、渓谷など、
「植治」の魅力が詰まった回遊式のお庭となっています。
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枯滝 |
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心字池と雪見灯篭 |
六義園は、五代将軍 徳川綱吉の側用人で権勢を誇った柳沢吉保が、
元禄15年(1702年)に築庭した古今集にある紀州 和歌の浦を中心とした
美しい風景をイメージした池泉回遊式の大名庭園です。
六義園の名は、中国の詩の分類法に倣った古今集の序にある和歌の分類
(そえ歌、かぞえ歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、いわい歌)
に由来したものだそうです。
柳沢吉保は、日本風に「むくさのその」と呼んでいましたが、
現代では「りくぎえん」と呼びます。
江戸時代の園芸の中心地であった染井(そめい)に隣接していたことから、
そのころのツツジブームにあやかり、六義園には数多くのツツジが植えられ、
GW中はツツジの開花に重なることから盛況となり、
正門のほか、染井門も開放されます。
藤代峠からのツツジを通しての和歌の浦(池)の景色や
対岸からの藤代峠のツツジは絶景です。
また、園内には滝見、吹上の両茶屋のほか、渡月橋、出汐湊など、
名勝になぞらえた八十八境が映し出され、回遊式の園路を歩くごとに
和歌に詠まれた古(いにしえ)の景色が移り変わります。
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藤代峠(六義園八十八境 七十四)から田鶴橋を望む 「ふじしろのみかさをこえて見わたせば かすみもやらぬ吹上の浜」 |
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対岸からの藤代峠 |
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滝見茶屋 |
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渡月橋(六義園八十八境 三十七) 「わかのうら あし辺のたづ(田鶴)の鳴く声に 夜(よ)わたる月の影ぞさびしき」 |
帰りのJR駒込駅のホームから見えるツツジも
園芸の地「染井」の名残のようです。
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JR駒込駅 山手線内回りホームからのツツジ |
(技術1部 Y.小泉)
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